2017年02月23日

なぜ勉強しなければならないの?[11]

 どうもいけません。このテーマの執筆がなんと5年も滞ったままでした。
 断片的に書くことはあっても、公開に至る状態にまで持って行けずにズルズルと月日が経ってしまいました。

 子供達を指導していれば、「こんなの何の役に立つのか」といったセリフはしょっちゅう聞かされます。そういうセリフを口にするのは例外なく苦手な科目、苦手な問題に苦しんでいる時だというのがなんとも可笑しくなってしまいますが。

「何の役に立つのか」という問いに答えるのは比較的簡単です。
 しかし「役に立つから勉強しておきなさい」とは私は言いたくありません。
 将来への「備え」としての勉強というのは、なにか「ちがう」と思うからです。

 だから「何か役に立つの?」と生徒に問われた時、あえて私はこう答えます。
「立たねえよ。」

 そしてこう言います。
「役に立つとか立たないとか、そんな判断で勉強するようなつまらないことはするな」と。
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2012年05月18日

なぜ勉強しなければならないの?[10]

<働くということ>
「衣食住」という言葉があります。
 人が生きるのに欠かせないものです。
 それらの原料・材料のことを考えてみましょう。

衣:衣服
たとえばワタ(木綿)。あなたの家では栽培していますか?
たとえば石油。あなたの家でとれますか?

食:食物
たとえば米や野菜・果物。あなたの家では栽培していますか?
たとえば牛や豚。あなたの家では飼っていますか? あなたの家族が獲っていますか?
たとえば魚。あなたの家では養殖していますか? あなたの家族が獲っていますか?

住:住居
たとえば木。あなたの家族が植えた木ですか? あなたの家族が切り倒しましたか?
たとえば鉄。あなたの家族が採掘しましたか? あなたの家族が精製しましたか?


 こうして考えると、あなたが毎日食べているもの、使っているものの殆どは、他人が働いて作ったり用意したりしてくれたものであることがわかります。こういう仕組みのことを「分業」と言います。つまり「働く」とは、「自分の役割を果たすこと」であると言えます。

 なぜ人々がこのように大規模な「分業」を行うようになったのか、もうおわかりですね。その方が効率がよいからです。その方がみんなが快適に暮らせるからです。うまく行けば、ですが。

 今の日本には様々な職業(仕事)があります。働く理由は人により様々ですが、とりあえず生きるためには働くことが大事です。
 しかし小学生や中学生のうちから、将来どんな仕事に就くかをはっきり決めている人はほんの一握りでしょう。ならば、自分が生きるために一体どんな能力を身に付けたらよいのか判断できないのも当然です。
 連立方程式や過去進行形を知ることが、本当に必要なのでしょうか?
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2011年10月06日

なぜ勉強しなければならないの?[9]

<原始時代に生まれたかった>
 学校がなかった時代、言い換えれば国語の勉強も算数の勉強もなかった時代がありました。
 そんな時代に生まれた人々を、うらやましく思うことがあるかも知れません。
 では、たとえば原始時代の人々の生活は、今よりも「気楽」で「快適」だったのでしょうか。
 もしそうだったとしたら、人々は自分達の生活を変える必要があったでしょうか。人々が生活様式を変えて行ったのは、「もっと快適に暮らしたい」と願っていたからにちがいありません。裏を返せば、原始時代の人々は、自分達の暮らしに満足していなかったと言えるでしょう。

 人間は、どういうわけか誰もが「生きたい」と願っています。これを「生存本能」と言います。(その一方で自ら命を絶ってしまう人もいますが、話がややこしくなるので省略。)
 言うなれば、人類の共通の悩みは今も昔も「死の恐怖」です。飢え、寒さ、そして怪我、病気。原始時代、とりわけ「氷河期」と呼ばれる時代において、これらの問題は今とは比べ物にならないほど深刻だったことでしょう。
 狩りがうまく行かなければ、今日食べるものがありません。山奥で帰りの方角がわからなくなれば夜の寒さで凍死します。今なら何でもないような怪我や病気でバタバタと死んで行きます。旧石器時代(氷河期)の人々の寿命は、15〜20年程度だったとも言われています。

「生きたい。」「死にたくない。」その願いが、人の生活を変える原動力となっていたことは、疑いようがありません。
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2011年06月26日

なぜ勉強しなければならないの?[8]

<学校がなかった時代>
 人々が打製石器を使って動物を狩り、木の実や植物の根を採って暮らしていた時代を「旧石器時代」と言います。

 この時代の人々は、生きることで精一杯だったにちがいありません。私の研究によれば、旧石器時代にスーパーマーケットはありません。ラーメン屋さんもどうやらなかったようです。つまり、動物を狩ったり木の実を採ったりする能力なしには生きられなかったわけです。
 学校のなかった時代、生きるためのそうした技術は、親から子へ、子から孫へと受け継がれていたのでしょう。生きるための技術を学ぶこと、それが子供達にとっての「勉強」だったとも言えます。

「なぜ狩りを覚えなければいけないの?」
 答えるまでもありません。

 しかし、旧石器時代と今の日本人の生活は、似ても似つかぬものになっています。学校では狩りの技術は教わりません。この塾でも教えません。なぜこんなにも生活様式が変わってしまったのでしょう。なぜ変える必要があったのでしょう。
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2011年06月13日

なぜ勉強しなければならないの?[7]

 前回の記事「読書嫌いの小中学生に」で全国読書作文コンクールの話をしました。
 その課題図書の中の「草原の風の詩」(佐和みずえ)を読んでみました。素晴らしく面白い本でした。
 これはモンゴルでの学校教育に力を注いだ日本人女性が主人公の物語です。この中に、こんなくだりがあります。
「学ぶとは本来楽しいことのはずだ。」
「教育とは、大きな翼のようなものだな。子供たちはその翼で世の中にはばたく」
 はい、わけがわかりませんね。子供時代の私なら、こう毒づいていたでしょう。
 楽しいことのはずだ → 楽しくねえよ
 教育とは、大きな翼のようなものだな → きゅうくつな牢獄のようなものだよ

 しかし多くの大人達は、上の引用した言葉に大きくうなずくはずです。そしてこれは「たくさん勉強すれば稼ぎのいい仕事にありつける」といった薄っぺらなことを言っているのではありません。
 あなたに、すぐに理解しなさい、納得しなさいと言っても難しいかも知れません。とりあえず今は、勉強することの意味を考える上でのヒントとして、上の言葉を頭の片隅にとどめておいてほしいと思います。
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2011年05月19日

なぜ勉強しなければならないの?[6]

<屁理屈をこねるな−3>
 繰り返しになりますが、多くの子供は、善悪を区別する能力が未熟です。そんな子供に、大人が善悪を教え込むことを「しつけ」と言います。「しつけ」が不充分だと、子供は辛いことから逃げるばかりで、楽な方へ楽な方へと流れて行ってしまいます。そして将来は「人をだます大人」になったり「役に立たない大人」になったりするのです。
「うちの親はなぜいつも怒っているのか」と不思議に思っている人も少なくないと思いますが、親の心には、あなたにちゃんとした大人になってほしいという切実な願いがあるのです。あなたをしっかり育てるためなら、親は百回でも千回でも叱ります。それが親の背負った役目であり責任なのです。(時にはイライラして必要以上に怒鳴り散らしてしまうかも知れませんが、許してあげて下さい。)
 叱られるのは辛いことにちがいありません。でもあなたにとって必要なことなのです。病気を治すために、苦くてまずい薬を飲んだり、痛い注射を打ったりすることがありますね。それと同じです。

 大切なのは、あなたが叱られた時に、なぜ叱られたのか、本当に悪いことをしたのか、悪いことをしたならこれからどうすればよいか、それを自分の頭で考え、判断することです。
 それができるようになれば、ただ辛いばかりと思っていた「叱られる」ということも、少しは落ち着いて受け止められるにちがいありません。また、相手の誤解で叱られたまま悔しい思いをするようなことも防ぐことができるでしょう。

 相手の考えを理解する力、考える力、そして自分の考えを伝える力。どれも勉強によって鍛えることができるのです。そしてそうすることで、日頃の辛さや悔しさをやわらげることができます。時間はかかりますが、やってみる価値はあると思いませんか。


 今回は内容が難しめでしたね。中学生ならまだしも、小学生にはちょっと理解しにくいかも知れません。もっと易しく書き直すべきかも知れませんが、続きを書くことを優先しますので、書き直しません。悔しかったらもっと勉強しましょう。
 でも、次からはもっと易しい内容になるので安心して下さい。
posted by 代表 at 13:34| Comment(0) | TrackBack(0) | なぜ勉強するの?

なぜ勉強しなければならないの?[5]

<屁理屈をこねるな−2>
 さて、せっかくですから、今回の話題を「勉強」に結び付けて考えてみましょう。

 親があなたを叱ったとします。
 叱られるのは面白いことではないですね。しかし「面白くないから何か言い返す」というような幼稚な態度では、まったく話になりません。何も解決しません。
 あなたがまずすべきことは、「親が言っていることを理解すること」です。
 そんなの当然理解できている? 日本語で喋っているのだからわかる?
 本当にそうでしょうか。
 では、あなたは国語の文章問題に全問正解できていますか。あれは全て日本語で書かれているのですよ。しかも教科書や塾のテキストに載っているのは、優れた作家の書いた、わかりやすい文章ばかり。文章問題に正解できないのは、内容がきちんと理解できていないからです。あなたは日本語がわかっているつもりになっているかも知れませんが、実はまだまだ未熟なのです。
 つまりあなたが親に叱られている時、あなたは「なぜ叱られているのか」が実はわかっていないのかも知れないのです。
 悔しかったら、もっと勉強して国語の文章題に確実に正解できる実力をつけましょう。

 あなたがすべきことの2つ目は、「あなたがしたことは本当に悪いことなのかを考えること」です。それを正しく判断した上で、次の行動に移りましょう。
「規則違反だから悪い」ではダメです。世の中にはおかしな規則だってあります。「叱られているのだから悪いのだろう」でもダメです。叱らなくていいのに叱ってしまうという失敗を、あなたの親がしないとも限りません。
「このような理由でこうである」と、考えの筋道がしっかりしていることを「論理的」と言います。あなた自身が善悪を正しく判断するためには、「ものごとを論理的に考える力」がとても役に立つのです。
 さてこの「論理的に考える力(論理性)」を養うのにうってつけなのは、算数です。一見複雑な事柄から大事な情報を読み取り、式で表し、整理する。それが算数という教科です。もちろん国語の文章読解も論理性を養うのにおおいに役立ちますが、算数で頭を鍛えれば鬼に金棒です。算数の勉強で身に付くのは、なにも計算力だけではないのです。だから子供の頃に算数の勉強をしっかりやって来た大人達は、たとえ今は算数の問題が解けなくなっているとしても、勉強によって鍛えられた「論理的に考える力」はちゃんと持ち続けているのです。
 あなた方は、ものごとを論理的に考える力がまだまだ未熟です。
 悔しかったら、もっと勉強して算数の問題をスイスイ解けるようになりましょう。

 あなたがすべきことの3つ目は……もし、叱られた理由に納得できたなら「はい」と返事をしましょう。謝る必要がある場合は謝りましょう。もしそこで何か言い返してしまったら、それは「屁理屈」にしかなりません。
 しかしもし、叱られた理由に納得できないならば、なぜ自分が悪くないかを、きちんと説明しましょう。ただ「悪くない」と言い続けるだけでは、話し合いになりません。
 相手にきちんと考えを伝えるには、そうです、作文です。あなたは作文が得意ですか。本を読んで感じたこと、学校行事で楽しかったことなどをわかりやすく書き表すことができますか。
 ただ「楽しかった」「つまらなかった」では○×をつけるのと変わりません。何について、どんな理由で、どのように感じたかを、具体的にくわしく書けることが大切です。
 それがきちんとできないようでは、たとえあなたが正しい意見を持っていても相手に伝えるのは難しいでしょう。誤解も解けません。
 悔しかったら、もっと勉強して上手な作文が書けるようになりましょう。
(つづく)
posted by 代表 at 13:31| Comment(0) | TrackBack(0) | なぜ勉強するの?

なぜ勉強しなければならないの?[4]

<屁理屈をこねるな−1>
 先日、小学生の生徒達との間で交わした会話に思うところがあり、今回はそのことについて書こうと思います。ちょっと内容が難しいので、覚悟して読んで下さい。

「こっちが何か言い返すと、親はすぐ『屁理屈を言うな』と怒る。」
 そうこぼした生徒に、私はこんな風に言いました。
「どうしても納得できなかったら、その時の会話を書き出して、私に見せてみなさい。君が本当に正しいことを言ったのかどうか一緒に考えてあげるから。」

 人は、自分の間違いを認めたくないという、弱さとずるさを持っています。親はそれを決して許しません。また、許してはなりません。
 叱られて神妙に「はい、ごめんなさい」と言うのは苦しいことですね。その苦しみから逃げたいばかりに、人はしばしば「言い逃れ」をしようとします。「だって……。」
 そんな時、多くの親はこう言うはずです。「言い訳をするな」「屁理屈をこねるな」と。
 もっと見苦しい態度は「開き直り」です。「カンケーないじゃん」「聞こえませ〜ん」「だからなに?」。これをやったらゲンコツが飛んで来るかも知れません。「関係ないなら出て行け」と家から放り出されるかも知れません。
 あなたの親は、自分の非を認めない、そんなあなたの「ずるさ」を叱っているのです。

 さて、ここではっきりさせておかなければならないことがあります。
 それは「言い逃れをする」ことと「言い分を伝える」ことの違いです。
 何かの勘違いで、あなたが悪くないのに叱られてしまうことがあるかも知れません。親だって間違えることはあります。そんな時は「はい、ごめんなさい」と言う必要はないのです。自分が本当に悪くないのなら、それを説明するのは決して見苦しいことではありません。
 一番いい方法は、誤解であることをしっかり説明して、わかってもらうことです。もしわかってもらえたなら、あなたの親はきちんと謝ってくれることでしょう。たぶん。
 もしそれがうまく行かなかったら、家族の誰かに事情を話して相談してみるといいでしょう。
 それでも解決できなかった時は、金属バットを振り回して暴れる……のはやめましょう。「ボク(ワタシ)は絶対に悪くない」と書き置きして家出……もダメです。どうしても気持ちが収まらない時は、私に相談して下さい。誤解を解くのを手伝ってあげます。

 どうすべきか判断が難しいのは「自分も悪かったけれど、少しは言い分もある」という場合です。でも、親から叱られる時は、大抵このケースではないでしょうか。何か理由があって「つい」やってしまったことを叱られた場合、その「理由」を言いたくなる気持ちはわかります。
 しかしこんな時は、やはり謝るべきです。言いたいことを言わずにおくのは辛いことですが、間違ったことをした罰と思ってあきらめる勇気も、時には必要です。
 大事なのは、わずかな言い分を聞いてもらうことではなく、あなたが「つい」を繰り返さないことです。
(つづく)
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2011年05月16日

なぜ勉強しなければならないの?[3]

<信ずるものは救われる かも>
 私のこの連載を読んだ後、あなたは今よりも勉強熱心になれるでしょうか。なれるかも知れません。しかし、なれないかも知れません。
 なぜなら、私の答えを読んで仮に「納得」できたとしても、「勉強はしんどい」ということに変わりはないからです。勉強することで自分自身が得をするのだと頭ではわかっていても、「しんどさ」に負けてついつい怠けてしまう弱さを、人は誰でも持っています。そして、勉強のしんどさを完全に取り除いてあげることは、誰にもできないのです。

 そこで、勉強に対して前向きになる方法としてひとつ考えられるのは「親を信じてみる」ということです。あなたの親が「勉強しなさい」と繰り返し言うのは、たぶんあなたのためです。他の理由も混じっているかも知れませんが、勉強することがあなたにとって得になる可能性が高いのも確かです。
 ならば、こう考えてみてはどうでしょう。
「勉強して何の得になるのかはよくわからないし、わかるように説明もしてもらえないけれど、でも親がそう言うのだから、言われる通りにがんばってみようじゃないか。」
 そんな風に割り切ってしまうのです。親を信じられる人は、信じてしまって下さい。それでがんばれる人は、この連載の続きを読む必要はありません。
「いんや、うちの親は信用でけん。きっとワタシを(オレを)罠にはめようと何かたくらんでいる」と思う人は……連載の続きを待っていて下さい。何かの足しにはなるかも知れません。

「信じてみましょう」なんて調子のいいことを言いましたが、もちろん大人の言うことがいつも正しいとは限りません。特に私の言うことは全部疑ってかかるべきです。
 以前、「どうして子供が生まれるのか」と生徒に聞かれた時、私は「マルエツで198円で売っている」と答えてしまいました。この際だから白状しますが、あれはウソです。
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なぜ勉強しなければならないの?[2]

<大人はこう思っている>
 勉強を怠けたことのない人というのは、ほんの一握りです。ほとんどの大人達は、がんばったり怠けたりを繰り返しながら、どうにか学業を終えたというのが本当のところです。もしあなたの親がそんな風に怠けたことがまったくなかったり、たまにしかなかったりしたならば、とても心の強い人だと言えるでしょう。ちょっと古臭い言葉を使うなら「根性がある」というやつです。
 大人達の多くは、今ではこう思っています。
「勉強しておいてよかった。」
「でも、もっと勉強すればよかった。」
「機会があれば、また勉強したい。」

 疑うなら、周りの大人達に聞いてみて下さい。「そう思ってるの?」と。
「その通りだ」という答えが返って来たとしたら、その方は勉強することの意味を知っている人です。たぶん。
 だからこそ、大人はこうも思うのです。
「わが子にはしっかり勉強してほしい」と。

 さてここまで読んで、「よし、がんばって勉強しよう」と思いましたか。
 思わないでしょうね。なにしろ私はまだ質問に答えていないのですから。
 「なぜ勉強しなければならないの?」

 答えは簡単ではありません。そして答えはひとつではありません。
 大人達は、答えがわからないのではないのです。わかりやすく説明できなくて困っているだけなのです。
 あなたの周りの大人が「わかりやすく説明」できないのは、もしかしたら勉強が足りないからかも知れませんね。そんな大人達に対しては、こう言ってみましょう。「もっと勉強したまえ」と。
 言った後どうなるかは責任持ちませんが。
posted by 代表 at 13:00| Comment(0) | TrackBack(0) | なぜ勉強するの?